子ども哲学とは?園長先生のスピーチが教えてくれた子育ての本質

子ども哲学教室の紹介を聞いて

過去に娘の保育園で「子ども哲学教室」の取り組みについての紹介があり、
園長先生のお話を聞いて、胸がいっぱいになった出来事を思い出し記録しておきます。

(長女が入園した頃のお話なのですが、私の子育ての軸になったと感じているお話です。)

園長先生は、数年前に大学院で学ぶ中で、
「子どもを見る自分自身の視点が根元から揺さぶられた」と話されていました。

子どもを
・何もできない存在
・未熟な存在
・守るべき可愛い存在

そんなふうに見ていた自分に気づいたこと。
そして、知らず知らずのうちに
子どもを“親や大人の所有物”のように見ていたのではないか
と問い直したこと。

その言葉が、とても正直で印象に残りました。


「遊びは本気」

特に心に残ったのは、
「子どもにとって遊びは本気」
という言葉です。

大人にとっての「遊び」は、
中途半端、気晴らし、余った時間にするもの
そんな意味で使われがちです。

でも、子どもにとって遊びは違う。
石ころを一つ、大事そうに持ち帰る子ども。
その石の中に、子どもなりの「世界」や「夢中」がある。

その真剣さこそが、子どもの本気で、
遊びは学びにつながっていく。

だからこそ、
大人が先回りして教えすぎないこと、
待つこと、
ときには一緒に遊ぶことが、
主体性や根気を育てていくのではないか。

そんなメッセージを受け取りました。


子どもも、一生懸命生きている

私たち大人は、
仕事に家事に、時間に追われ、余裕がなくなりがちです。

でも、園長先生は
「子どもも同じように、一生懸命生きている」
と話されていました。

大人に対して失礼になることは、
子どもに対してもしていいのか。

手を引っ張って無理やり連れていくこと、
感情的に怒鳴ること、
大人同士なら許されないことを、
子どもにはしていないか。

「子どもを人として見ていますか?」
その問いが、胸に刺さりました。


種は、種のままで輝いている

もうひとつ、忘れられない言葉があります。

「種は、花を咲かせるから大事なのではない。
種は、種のままで輝きを持っている」

何かの役に立つから価値があるのではない。
結果を出すから大事なのでもない。

今、この瞬間の子どもに、
そのままで価値がある。

だから、待つことができる。
寄り添うことができる。

そんな考え方を、私は受け取りました。


この園に出会えてよかった

子どもの「今」に全力で寄り添い、
子どもと一緒に、一生懸命遊ぶ。

そんな園で、
娘が過ごせていることを、心からありがたく思います。

涙が出るほど、胸に残るお話でした。
この園長先生に出会えたこと、
この保育園を選べたことを、誇りに思います。

※本記事は、保護者向けの場で聞いたお話を、私自身の受け取りとしてまとめたものです。実際の表現とは異なる部分があるかもしれません。

この話を聞いたのは、2018年。
あのとき、次女はまだお腹の中にいました。

その次女も、もうすぐ卒園を迎えます。

当時、園長先生の言葉に強く心を打たれ、
「この考え方を大切に子育てをしたい」と思った気持ちは、
今も変わっていません。

子育てに迷ったり、揺れたりすることは何度もありますが、
あのときに受け取った言葉を胸に、
これからもぶれずに進んでいきたいと思います。

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コメント

はじめまして、「パステルゾーン女子」です。

30代後半、不安が強めな夫と、かなり楽観的な私、小4と年長の娘2人を育てています。

夫婦で物事の捉え方が正反対なことも多く、「そんな考え方もあるのか」と驚いたり、「まあ、なんとかなるか」と流したりしながら日々を過ごしています。

私は興味をもったことに一直線になるタイプで、発達障害、心理、アダルトチルドレン、アニメ、ラーメン屋巡りなど、気になることはとことん深掘りしてしまいます。

凸凹夫婦で子育てをする中で、自分の考え方や感じ方を見つめ直す機会が増えました。

深刻になりすぎず、面白がれるところは面白がりながら、毎日を楽しむことを大切にしています。

このブログは、日々の出来事や気づきを書きながら、自分の頭の中を整理するための場所です。

ゆるいセルフカウンセリングのような感覚で続けていけたらと思っています。

ここに綴る経験や考え方が、誰かの「そんな見方もあるんだ」や「ちょっと気が楽になった」に繋がったら嬉しいです。

無理せず、気負わず、凸凹家族の日常をそのまま残していきます。

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