今日は、長女の授業参観でした。
長女はとてもがんばっていて、学校生活も楽しんでいる様子が伝わってきました。
お友達や環境に恵まれていることが、本当にありがたいなと感じました。
ここからは、私自身の話です。
私には、授業参観や園の行事でいつも困ってしまうことがあります。
それは、人の顔を覚えることが極端に苦手だということです。
自分が他の人と比べて「異常に覚えられていない」と気づいたのは、25歳頃でした。
それまでは、ただ「少し苦手なだけ」だと思っていました。
初対面で挨拶をして、次に会ったとき。
「どこかで見たことがある気がするけれど、誰だっただろう?」
そんな感覚にしかならないことがよくあります。
何度も会って、名前を文字で確認して、ようやく顔と名前が結びつく。
私にとっては、顔と名前を覚えるだけで、とても大きなエネルギーが必要です。
「私は人に興味がない人間なのかな」と落ち込んだこともありました。
でも実際は、人に興味があるし、仲良くなりたい気持ちもちゃんとあります。
授業参観や園行事では、相手は当たり前のように私の顔を覚えてくれています。
そして、私も同じように覚えていると思って話しかけてくれます。
でも私は、その人が誰なのか分からない。
きょとんとしたり、そっけない態度に見えてしまったりして、
「これ以上仲良くなりたくないのかな」と思わせてしまうことがあります。
その積み重ねで、なかなか打ち解けられるママ友ができません。
これは、相貌失認に近い状態なのかもしれない、と感じるようになりました。
気づいてからは、「顔と名前を覚えるのが苦手なんです」と
オープンに伝えてみたこともあります。
それでも、何度も聞き直してしまうことへの申し訳なさが強く、
結局、遠慮してしまう自分がいます。
今日も授業参観で、顔を合わせたママさんに、
どこか微妙な挨拶をしてしまいました。
「この前LINEを交換した○○ちゃんのママだった気がするけど、自信がない」
そんな状態で、私は嘘がつけないタイプなので、
その不安がそのまま表情に出てしまいます。
きっと相手を傷つけてしまった。
そう思うと、罪悪感が心に積もっていきました。
相貌失認は、メンタルに結構きます。
コミュニケーションに、大きな壁を感じます。
目に見えない困りごとは、自分でも理解しづらく、周囲にも伝わりにくい。
聞き取り困難に続いて、このしんどさにも気づいてから、
それでも何とか抱えながら、人と関わろうとしています。
うまくいかない日も多いけれど、
それでもめげずに、授業参観や園行事でのコミュニケーションを
私なりに続けていきたいと思っています。
対話を続けていれば、誤解はいつか解ける。
そう信じています。
参観の頻度が少なく、関わる機会が限られているぶん、
時間が空くと、また忘れてしまうのですが……
それでも、諦めずに向き合っていきたいです。
うまくできなくても、それでも人とつながろうとしている自分を、今日は少しだけ認めてあげたいと思いました。
顔が覚えられないことで起こる日常の戸惑いや罪悪感が、当事者の視点で描かれた体験漫画です。↓↓
「私だけじゃなかった」と、心が少し軽くなりました。


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