テミスの不確かな法廷 第3話を見ました。
発達障害の当事者が円になって座り、自分の経験や特性について語り合う。
参加者の話を、ただ「聞く」医療の場。
物語の最初のこのシーンに、いろいろ考えさせられました。
話題に上がっていたのは、
自分の診断や特性をオープンにするかどうか。
どれが正解という話ではなく、それぞれに選択があります。
そして、それが本当に悩ましい。
社会でどう受け止められるかは、
出会う人や環境によって大きく違うからです。
大切なのは、
定型発達の人と自分との違い、そして自分の特性を知ること。
それを言葉にして、説明したり、伝えられることだと思います。
「スペクトラム」と言われるように、特性は人それぞれ違うのに、
診断名だけが一人歩きして、ひとくくりにされてしまうことがあります。
そこに生まれる偏見や誤解。
その影響で、傷ついてしまう人もいる。
だからこそ、オープンにすることに迷い、悩むのだと思います。
私は職場では、自分の特性を少しずつオープンにしてきました。
不注意な出来事が多いこと。
忘れ物が多いこと。
焦るとうっかりミスが増えること。
言葉をそのまま受け取ってしまい、冗談が通じにくいこと。
もちろん、やらかしたときは真剣に謝罪し、気をつける努力はしています。
ありがたいことに、周囲は理解してくれて、
「そういう人」として受け止め、声をかけてくれています。
開き直るわけではないけれど、
ある程度、力を抜いていないと、頻繁に起こる失敗のたびに
自分を責めて、落ち込みすぎてしまう。
そのバランスを探しながら、今は「適度に」過ごすようにしています。
昔は、うまく言葉にできず、ただ困っていました。
知識を得て、自己分析ができるようになって、
ようやく自分を説明できるようになった。
自己理解を深め、言葉にしていくことは、
私の心を助けてくれました。
だから、子どもたちにも、
自分の特性を自分の言葉で伝えられるようになってほしいと思っています。
それは社会に対する免罪符ではなく、
自分の心を守りながら生きていくための道を探すために。
これからも、
自己理解について、考え続けていきたいです。
※本記事にはアフィリエイト広告(PR)を含みます。

コメント