園での出来事をきっかけに、靴下の穴から親子三代の「感じ方」を考えることになりました。
園で「こども哲学」の集まりがありました。
卒園生も参加OKだったので、長女も一緒に参加しました。
園のホールで自由に遊んでいたとき、ふと長女の靴下を見ると、大きな穴が開いていました。
本人はまったく気にする様子もなく、以前から何度か同じことがありました。
「靴下に穴が開いているのは、恥ずかしいことなんだよ」と伝えても、
長女は「別にいいや」という感覚です。
一方で、私はとても恥ずかしくなりました。
親として気づけなかったことに、「ごめん」という気持ちでいっぱいになりました。
(誰も何も言いませんでしたが、やっぱり気になります)
そこで、自分の幼少期を思い出しました。
私も同じように、しょっちゅう靴下に穴を開けたまま学校へ行っていました。
母に「恥ずかしいよ」と言われても、心の中では「まあ、いいや」くらいの感覚でした。
靴下に穴が開いていることは「恥ずかしいこと」なのだと、
言われて一応は学んでいましたが、
気づいてもそのまま履き続けることも多く、高校生になっても友達によく指摘されていました。
そして、ふと気づきました。
私は「穴を開けたままにしていた自分が悪い」と思っていましたが、
毎日洗濯してくれていた母も、きっと気づいていなかった、もしくは放置していたのだろう、と。
今、私自身も洗濯後に靴下を片付けていますが、
やはり穴にまったく気づかないことがあります。
それは母も同じだったのかもしれません。
そして娘は、そもそも気にしない。
靴下の穴のエピソードから、
不注意さ、細かいことが気にならない大らかさ、
「まあいいや」と流せてしまう感覚が、
見事に母の代から引き継がれているのだと感じました。
それでも私は、
娘が悪いかのように言う母のようにはならないぞ、と心に誓いました。
今回は指摘してしまいましたが、
次からは「私が気づけなかった」という視点で、
防げるように工夫していきたいと思います。
靴下の穴に気づかないことも、だらしなさではなく、感覚の「鈍さ」や「気づきにくさ」という特性のひとつなのかもしれません。
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