今月、次女がピアノを辞めます。
習い事は、始めるときよりも、辞めどきの方がずっと難しいですね。
私自身、ピアノにはいろいろな思いがあります。
私は3歳から中学3年までピアノを習っていました。今振り返ると、ピアノは決して好きでも楽しくもありませんでした。ただ、それなりに弾けるレベルではあったため、親の期待もあり、地元で有名な先生に通うほどでした。
でもそこには、常に期待やプレッシャーがありました。「やらなきゃいけない」という気持ちが先に立ち、辞めたいとは言い出せないまま中学3年まで続けました。練習は苦しくて仕方がなかったのに、その苦しさを口にすることもできませんでした。最後は、練習しない私を見かねて、親から「辞めてもいいんじゃない?」と提案され、ピアノを辞めることになりました。
そのときに残ったのは、解放感よりも、罪悪感とむなしさでした。
ピアノを辞めてから、大人になるまで、ピアノを弾きたいと思うことは一度もありませんでした。今思えば、私はただ「やらされて」いただけだったのだと思います。
音楽や楽器演奏は、本来楽しむものなのだと気づいたのは、社会に出てからしばらく経ってからでした。受動的に続けてきたことで、楽しみ方そのものが分からなくなっていたのだと思います。
今ならはっきり言えます。音楽は、楽しくて、やりたいと思えるから続けられるもの。そうでなければ、続けること自体が苦しさになってしまう。
30代になって、ようやく私は「弾きたい曲を弾く楽しさ」を知りました。習っていた頃は、与えられた曲を弾くだけで、自分が弾きたいと思う曲は一つもなかったのだと、今になって気づきました。
そんな経験があったので、長女と次女にピアノを習わせるかどうかは、とても悩みました。ただ、続けるかどうかは別として、経験として触れておくことには意味があると思い、「やってみる?」と提案しました。
結果として、長女も次女も数年で辞める決断をしましたが、発表会を経験したり、できるだけ好きな曲や知っている曲を弾かせてもらったりと、私とは全く違う形でピアノに触れられたと思います。ただ、楽しいと感じるのはレッスンの時間だけで、家での練習には積極的になれませんでした。私自身も一緒に付き合う余裕がなく、声掛けをする余裕もなく……。
「ピアノを楽しいものにしてあげられなかったのは、親の余裕のなさも大きかったのかもしれない」と、今は思っています。
だからこそ、ピアノが私のように「嫌な記憶」として残るものにはなってほしくありませんでした。ドレミファソラシドなどの基礎だけ教えてもらい、小学校入学前に辞めることを、長女も次女も同じように選びました。
長女は、辞めた後しばらくはピアノに興味を示しませんでしたが、1年ほど経ってから自分で「弾きたい」と言い出し、好きな曲を弾くようになりました。次女の発表会では、連弾で参加したいと言い出すほど、主体性が育っていました。
一方、次女は練習への拒否感が強く、先生から発表会の提案を受けたとき、親子で苦しい時間になる未来がはっきり想像できました。今回辞める決断をしたのは、そのためです。本人も嫌がるどころか、むしろ喜んでいます。タイミングや親の余裕、環境の影響も大きかったのだと思います。
音楽は、楽しくなければ意味がない。
それが、今回辞めると決めた一番の理由です。
後悔はありません。ピアノは、やりたいと思ったときに、またやればいい。学校の音楽で困らない程度の基礎は身についたと思うので、音楽に苦手意識を持たず、自然に楽しんでくれたらそれで十分です。
これからは、親が音楽を楽しむ姿を見せられたらいいなと思っています。
音楽が、子どもたちにとって、いつか自然に楽しめるものになりますように。
習い事を続けることよりも、「どう終わるか」が、その後の人生に残るのだと改めて感じました。

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