雪山に家族で出かけるまで
私は温かい地方で育ったこともあり、ウィンタースポーツとは無縁の子ども時代を過ごしました。
小さい頃に一度だけ、そり遊びに石川県へ連れて行ってもらったことがありますが、写真に残っているだけで、ほとんど記憶にはありません(^^;)
大学生になり、友人に誘われて初めてスノーボードを体験しました。そのとき強く感じたのは、自然にウィンタースポーツを楽しんできた友人たちとの「経験の差」でした。
経験がないと、イメージができない。
体験したことがないと、現実感がなく、やりたいとも思わないし、興味も湧きにくい。
行こうと思うまでのハードルが、とても高くなるのだと感じました。
誘われて連れて行ってもらい、「こんな世界があるんだ」と知ることができたのは、今思えばとても良い経験でした。結局ハマることはなく、ただの一度きりの体験で終わりましたが(^^;)
それでも、体験して「知っている」のと、体験したことがなく想像もできないのとでは、人生の豊かさに大きな差があるのではないかと思っています。
この「経験の有無で、世界の見え方が変わる」という感覚は、今の家族のことでも強く感じています。
そんな思いから、「家族でウィンタースポーツを楽しんだ思い出を作ってあげたい」と考え、4年ほど前にスキーウェアを一式そろえました。年に1回スキー場へ行き、最初は雪遊びから始め、去年は初めて長女と私がスキー講習を受け、少し滑れるようになりました。
大きめのウェアを買っていたので長く使えましたが、今年で子ども用のウェアがサイズアウト。受験も近づいていることを考えると、来年は行かないかもしれない。だからこそ、「今年は行っておきたい」と思っていました。
夫に家族でスキーに行きたいと伝えると、返ってきた言葉は
「寒いの嫌や、しんどいだけ」
「車をレンタルしたり計画するの面倒」
というもので、あまり乗り気ではありませんでした。
私だけが熱を持っていて、夫との温度差を強く感じました。
私は「子どもたちとの思い出を作れるチャンスは今しかない」と思っているのに、夫はそうは感じていない。私の思いを伝えても、共感してもらえない感覚があり、夫にとっては「しんどさ」が先に立ってしまうようでした。正直、辛く感じました。
次女と同じ反応だな、と思ったりもしました(^^;)
変化に対する不安が強く、先の疲労ばかりを想像して言葉にしてしまう。
やりたい、やらせてあげたいと思っている私の気持ちが、否定されたように感じてしまいます。
先を予測する力のおかげで、日常生活では助けられていることもたくさんあります。ただ、子どもに体験をさせてあげたいとき、やらせてあげたいことを伝えたときに、どうしても否定から入られると、心が折れそうになります。
ASDやHSPの特性なのかもしれません。
やりたいと思うことを応援してほしい、という気持ちがあります。
結婚前は、私のやりたいことを応援してくれていたように思います。結婚後、少しずつ本当の自分を出せるようになったのか、あるいは余裕がなくなったのか、「ああ、結婚前は無理をして合わせてくれていたんだな」と感じることもあります。
隠していたのなら、結婚後も多少は負担があっても、余裕のある範囲で合わせてもらえたらいい。そう自分を納得させながら、今回は子どもたちとの「今」を大切にしたくて、強行する形で行く決断をしました。
スキー場へ行くと決めた予定日の前日は、特に不機嫌が強く、準備もほとんど私任せ。
本当なら楽しみでわくわく過ごしたいのに、「明日、本当に楽しめるんだろうか」という不安でいっぱいになり、行きたいと言い出した自分が悪いのではないかとさえ思ってしまいました。
当日、夫が起きてくるか心配でしたが、少し遅めに起きてきて、なんとか出発できる時間帯。機嫌も改善していて、無事に向かうことができました。行ってしまえば、子どもたちと一緒に楽しんでいました。
大きなトラブルもなく、子どもたちも機嫌を損ねず楽しめて、ほっとしました。ただ同時に、「もし何かあれば、ほら、だから行きたくなかったと言われていたかもしれない」と思っている自分もいました。
振り返ると、行くと決めた責任を私が一手に引き受けていたようにも感じます。ダブルバインドのような構造だったのかもしれません。
私が家族と一緒にやりたいことが、夫の負担になる。
その負担感から生まれる不安や不機嫌に、どうすれば巻き込まれずにいられるのだろうと、いつも考えています。
家族で思い出を作ること、体験を大切にすることに、ここまでこだわる私はおかしいのでしょうか。
もしかしたら、あきらめた方が楽なのかもしれません。
それでも、そこだけは譲れないという気持ちがあります。
ASDやHSPの特性として理解し、笑い飛ばせるようになれたらいいのですが、まだそこまでには至らず、こうしてブログに書きました。
次女には、子どもだからと信じて見守ろうと思えますが、夫にはなかなか同じように思えない自分もいます。それでも、本質にある「不安」は同じなのかもしれないとも感じています。
周囲を巻き込まず、健全に不安な気持ちを処理できるようになってほしい。
夫のことも、信じて見守りたいと思っています。
私は先の不安より、今を楽しむことを大切にしたい。
不安によって子どもたちの経験の幅が狭まらないよう、家族全体のこととして、私が主導するところは主導していこうと思っています。
それが独りよがりではないと、信じたいです。
家族関係で感じてきた生きづらさに、そっと言葉を与えてくれる一冊です。【PR】

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